なつかしの香港映画ブログ

香港映画の見所を紹介するブログ。リンクも楽しめます

なつかし香港映画:ブルース・リーのすべて「死の真相と死後」(12)

「なつかしの香港映画ブログ」『燃えよドラゴン』に出演後、『死亡遊戯』の完成に取り組むリー。そして1973年7月20日。その頃の状況について(死因、葬儀)。

死去
1973年7月20日。女優ベティ・ティンペイの香港の自宅を訪ねたリー(ティンペイは『死亡遊戯』に出演予定だったという)。そして頭痛。鎮痛剤を飲んでベッドに横になったまま昏睡状態に。ティンペイはレイモンド・チョウを呼び、クィーン・エリザベス病院へリーを搬送したが、死去(32歳)。

死因
公式な死因は脳浮腫(のうふしゅ)。司法解剖の結果、微量の大麻が検出されたがそれは死因ではない。元々、脳にダメージがあったリー。「鎮痛剤に脳が過剰反応した」というのが有力な説。

前兆
リーは『燃えよドラゴン』の撮影後、音声吹き込み中に昏倒。意識不明の重体に陥ったが、かろうじて一命をとりとめた。その前後にも体の不調のためか、親しい人を殴ったり、怒りっぽくなっていたという。主なトラブルでは、『ドラゴン危機一発』『ドラゴン怒りの鉄拳』で意見衝突したときのことを突然思い出して監督だったロー・ウェイを罵倒、殴打。警察沙汰に。1972年、リーの青年時代の師匠であった葉問が死去。リーはそのとき香港にいたが葬儀には出席せず、「恩知らず」という非難を世間から浴びた。リーの体調不良とこのことが関係あるのかどうかはわからないが、「普通ではない行動」として興味深いところ。亡くなる前、かなりやせてしまったリー。しぼんだ胸にシリコンを入れる手術を受けたと言われているがその証明はされていない。

葬儀
葬儀は香港とシアトルで二回行われた。香港では数万人のファンが葬儀に参列。シアトルの葬儀にはリーの弟子だったジェームズ・コバーンスティーブ・マックイーンも参列。遺体はシアトルの墓地に埋葬された。若くして亡くなった息子ブランドンもそこに埋葬されている。シアトルのリー親子の墓には截拳道の理念である「以無限為有限 以無法為有法」と「YOUR INSPIRATION CONTINUES TO GUIDE US TOWARD OUR PERSONAL LIBERATION」が刻まれている。

死後
リーの死後、『燃えよドラゴン』が世界各地で公開され、ヒット。しかし、地元香港では『ドラゴンへの道』の興行収入を大きく下回った。香港のファンは「中国人が悪い外国人を倒すところ」をリーに期待していたためであり、リーとミスター・ハンの対決は中国人同士だったため関心が薄かった、ということらしい。

(予告編:YouTube

--------------------------------------

Amazonショッピングサイトへのリンクです。
ブルース・リー物語 [DVD]

実録/ブルース・リーの死 [DVD]

この続きはcodocで購入