なつかしの香港映画ブログ

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なつかし香港映画:ジャッキー・チェンについて「人気上昇&トラブル」②

「なつかしの香港映画ブログ」ジャッキーの人生を振り返る。ブレイク、契約トラブル、80年代の黄金期、重傷、ハリウッドに挑戦(失敗の連続から国際的スターに)。

ブレイク
主演作が地味だったせいもあって「大コケ俳優」呼ばわりされていたジャッキー。「ロー・ウェイプロ」と専属契約していたが「シーゾナル・フィルム社」に出向出演。1977年、ユエン・ウーピン監督『スネーキーモンキー 蛇拳』(1978年)。ジャッキーのコメディな雰囲気がウケて大ヒット。続く『ドランクモンキー 酔拳』(1978年)でジャッキーはスーパースターに。『クレージーモンキー 笑拳』(1979年)を自ら監督してこれも成功。1979年に「ロー・ウェイプロ」を離れ、「ゴールデン・ハーベスト社」に移籍。移籍後、第一弾は『ヤングマスター 師弟出馬』(1980年)。自ら監督と主演を務めた。

トラブル
「金の卵を産むニワトリ」となったジャッキーを手放したくないロー・ウェイ。契約書を改竄してジャッキー&ゴールデン・ハーベスト社に高額の移籍料を要求。ギャングを使ってまでジャッキーを脅したが、ジミー・ウォングが間に入って決着。その「お礼」としてジャッキーはジミーの主演作品『ドラゴン特攻隊』『炎の大捜査線』に出演。ノーギャラだったが、「それで借りを返せるのであれば」とジャッキーは自分を納得させるしかなかった。

黄金期
1980年代。『プロジェクトA』(1984年)や『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(1985年)といったポリスアクション作が大ヒット。自ら命懸けのスタントをこなしながら監督・主演。子供時代からの仲間サモ・ハン、ユン・ピョウと組んだ「香港ビッグスリー」がそろった作品は特に人気が高い。それらの作品には同じく少年時代からの仲間であるユン・ワーらが参加(彼らの仲間意識の強さがうかがえる)。その後、ジャッキーは監督業から退き俳優業に専念。ジャッキーによると自身の作品で特に好きなのは『ポリス・ストーリー/香港国際警察』『奇蹟/ミラクル』だそうだ。

重傷
ケガしていないところがない、というほど負傷してきたジャッキー。最悪の事故は『サンダーアーム/龍兄虎弟』(1986年)でのロケ。頭に大怪我。運良く医者が見つかったため命を取り留めたが本来なら死んでいたところ。その後遺症で今でも右耳がほとんど聞こえなくなってしまっている。『ポリス・ストーリー3』(1992年)、『ファイナル・プロジェクト』(1996年)ではヘリコプターを使ったアクションシーンが見られるが、『ポリス・ストーリー3』では機体がジャッキーの体にぶつかり、『ファイナル・プロジェクト』ではプロペラがジャッキーの帽子に接触し、死ぬところだった。そのため、ジャッキーはヘリコプターを使ったアクションはやらなくなったとのこと。

ハリウッド
香港、日本で大人気になったジャッキー。ゴールデン・ハーベスト社はジャッキーをアメリカでもスターにしようと計画。まず最初にアメリカで製作されたのが『バトルクリーク・ブロー』(1980年)。ヒットせず。『キャノンボール』(1981年)ではマイケル・ホイとタッグを組んだが、大勢のスターの中では「その他大勢」的なポジションに。『プロテクター』(1985年)では監督とソリが合わず、微妙な内容に。しばらくはアジアのファンをターゲットにすることにしたジャッキー。その後、アメリカ市場に再挑戦。今度は自分で脚本を書いて勝負。『レッド・ブロンクス』(1995年)が全米興行収入初登場1位になり、その後、『ラッシュアワー』(1998年)も大ヒット。ハリウッドスターになった。ただし、地元香港では「ジャッキー主演のハリウッド映画」はそれほどヒットしなかったという。ジャッキーのアクションはアメリカのファンには新鮮に見えたが、アジアのファンには「見慣れたもの」だったためだと思われる。

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