なつかしの香港映画ブログ

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なつかし香港映画:ジャッキー・チェンについて「人間関係&日本での人気ぶり」③

「なつかしの香港映画ブログ」ジャッキーの人生を振り返る。人間関係(ブルース・リーサモ・ハン、ロー・ウェイ、スタントマン)、日本での人気について紹介。

ブルース・リー
ある日、道でバッタリ。ジャッキーとリーはボウリング場へ。リーはジャッキーのプレイを後ろから見るだけでプレイせず(残念)。撮影時、スタントを演じていたジャッキーにケガをさせたリーは謝罪。ジャッキーには優しく接したらしい(「未来の大物」を直感的に感じ取ったのかも)。

サモ・ハン・キンポー
「中国戯劇学院」でリーダー格だったサモ・ハン。ジャッキーはサモによく殴られていたという。ケガをしたことがキッカケで太ってしまったため、学院を去ったサモ。映画界入り。仕事がなかったジャッキーの世話をしたことも。サモには子供の頃に殴られたり、大人になって世話になったり。ジャッキーはサモを「兄貴」と呼んでいるようだ。ジャッキーにとってユン・ピョウは「中国戯劇学院」の後輩。学院では年齢が下だったため、ユン・ピョウは他の生徒からイジメられることがよくあったという。しかし、ジャッキーはユン・ピョウとは子供の頃から良好な関係。後、ジャッキー、サモ・ハン、ユン・ピョウは「香港ビッグ3」と呼ばれ、大ヒット作を連発した。方向性の違いから三人がそろって映画出演することはなくなってしまったが、2015年に行われたユン・ピョウの娘の結婚式にサモがジャッキーを呼び、久しぶりに三人が揃った。

スタントマン
「ジャッキー映画」を支えるスタントマン。「成家班」と呼ばれる(英語では「Jackie Chan Stunt Team(ジャッキー・チェン・スタント・チーム)」)。ジャッキーはもちろん、撮影ではチームに負傷者続出。「凄いシーンを撮りたい」という目的で集まった命知らずな人たち。

ロー・ウェイ
映画プロデューサーのロー・ウェイ。ブルース・リーの作品を監督した実績。しかし、リーとケンカ別れ。その後、リーは急死してしまった。「第二のブルース・リー」を求め、ローはジャッキーと契約。『ドラゴン怒りの鉄拳』と同じコンセプトの『レッド・ドラゴン/新・怒りの鉄拳』(1976年)を制作したが、ウケず。『少林寺木人拳』(1976年)を制作したがコレもダメ。別会社に出向して撮った『スネーキーモンキー 蛇拳』、『ドランクモンキー 酔拳』、自ら監督した『クレージーモンキー 笑拳』が大ヒットしたジャッキーはセンスが古いローと別れ、ゴールデン・ハーベスト社に移籍。これを認めないローはその契約を破棄するか、高額の移籍料を払うかをジャッキーに迫った。結局、ジャッキーは移籍。ローはブルース・リーに次いでジャッキーとも決裂。しかも、『クレージーモンキー 笑拳』の未使用シーンを使って『ジャッキー・チェンの醒拳』(1983年)なる珍作を勝手に製作。ギャングを雇ってまでジャッキーを脅したローは人格的に問題がありそう。

日本
香港カンフー映画の輸入に力を入れた東映。『ドランクモンキー 酔拳』『スネーキーモンキー 蛇拳』『クレージーモンキー 笑拳』『拳精』を公開し、日本でのジャッキー人気を盛り上げた。テレビ放映は高視聴率。石丸博也の吹き替えがジャッキーのイメージにピッタリ合ったことから、字幕バージョンより人気がある。東映版、テレビ版には日本独自のテーマ曲が挿入され、コチラも大変な人気。『拳精』の「チャイナ・ガール」、『ドランクモンキー 酔拳』の「拳法混乱(カンフージョン)」ほか。1990年代頃までの作品はジャッキーの肉声ではなく、別の役者による吹替え(ちょっと高めの声。ずっとジャッキー本人の声だと思っていた)。中国にはいろんな方言があるため、言葉を統一させるために吹き替えなければならないという事情があった。

YouTube)『香港発活劇エクスプレス 大福星』予告編

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